東京高等裁判所判決/昭和60年(ネ)第3408号
昭和63年12月22日
夫から妻に対し、妻が居住する建物などを分与し、併せてその敷地について使用者っ権等を設定した事例
主 文
一 原判決主文第二ないし第四項(被控訴人の控訴人に対する財産分与の申立てに関する部分)を次のとおり変更する。
1 控訴人から被控訴人に対して別紙物件目録(四)記載の建物(但し、付属建物を除く。)を分与し、かつ、同目録(一)記載の土地につき、控訴人を貸主、被控訴人を借主とし、右建物所有を目的とする使用借権を設定する。
2 控訴人から被控訴人に対して別紙物件目録(五)記載の建物を分与し、かつ、同目録(三)記載の土地につき、控訴人を貸主、被控訴人を借主とする同目録(六)記載の賃借権を設定する。
二 控訴人のその余の控訴(被控訴人の控訴人に対する離婚請求に関する部分)を棄却する。
三 訴訟費用は、第一、二審を通じ、これを三分し、その二を控訴人の、その余を被控訴人の各負担とする。
事 実
第一 当事者の求めた裁判
一 控訴人
1 原判決を取り消す。
2 被控訴人の請求を棄却する。
3 訴訟費用は、第一、二審を通じ、被控訴人の負担とする。
二 被控訴人
1 本件控訴を棄却する。
2 控訴費用は控訴人の負担とする。
第二 当事者の主張当事者双方の事実上の主張は、原判決添付物件目録を別紙のとおり差し替え(以下、別紙物件目録(一)ないし(三)記載の各土地を「本件(一)土地」「本件(二)土地」「本件(三)土地」と同目録(四)及び(五)記載の各建物を「本件(四)建物」「本件(五)建物」という。)、原判決二枚目裏七行目の「内攻する」を「内向する」に、同三枚目表七、八行目の「入院、臥床していた」を「入院を余儀なくされたばかりか、病床の」に、同九行目の「物理的」を「肉体的」に、同裏二行目の「内攻して」を「内向して」に改め、当審における主張を次のとおり付加するほか、原判決事実摘示と同一であるから、これを引用する。
一 控訴人
1 離婚請求について
(一) 控訴人と被控訴人との婚姻が解消されるべき事由はない。控訴人の被控訴人に対する行状に問題があったとしても、病気に原因したものであって、控訴人の責めに帰せしめることはできない。被控訴人が控訴人との婚姻生活に限界を感じたとしても、控訴人が病気で入院したということ以外にない。
(二) 被控訴人は、病気の控訴人を看護することもなく、控訴人の病気に起因する行状を針小棒大に非難するかたわら、離婚に備えて着々と控訴人の財産を領得していたものである。本件は、病気の控訴人を看護するよりか、控訴人の財産を取得して離婚するほうが得策であるとの被控訴人の狡猾な計算によって提起されたものである。
(三) なお、原判決に従えば、控訴人所有の土地は、被控訴人との共有とされ、あるいは、賃料月額三万円で被控訴人に賃貸すべきものとされるが、控訴人は、これではまったく身動きがとれない。控訴人の今後の療養・生活等につき、具体的な方途の見込みがつかない状態での本件離婚請求は棄却されるべきである。
2 財産分与の申立てについて
(一) 本件(一)ないし(三)土地は、いずれも控訴人固有の資産である。被控訴人は、生計の維持に多大の貢献をしたものではないし、控訴人が右土地を保持し得たのは、控訴人所有の他の土地を処分したことによるものであって、被控訴人の努力によるものではない。原判決は、本件(一)及び(二)土地につき、控訴人と被控訴人との各二分の一の持分による共有とするが、同土地の利用状況から、特に共有関係を認める事由はない。共有関係を認めるならば、使用収益関係について判断すべきである。また、本件(三)土地につき、被控訴人のために建物所有を目的とする賃借権を認めるのも、いわゆる借地権価格を考えると、不当である。総じて、原判決は、社会復帰を試みる控訴人に極めて酷なものであってり不公平である。
(二) 被控訴人がこれまでに処分した控訴人所有の土地の売却代金は、約一億円に達するものであって、そのすべてが生活費等に充てられたものではない。控訴人から被控訴人に対する財産分与の前渡しとして、これも考慮すべきである。
(三) 被控訴人は、控訴人所有の土地を売却した代金で自宅を新築して、優雅な生活をしているものである。被控訴人が求めるのは、控訴人との有利な離婚のみである。これに対する控訴人の現在及び離婚後の生活状況を考慮しないで、また、病気であった控訴人が被控訴人を慰謝すべき事由があるのかを確定しないで、直ちに慰謝料的要素を加味して財産分与をするのは不当である。
二 被控訴人
1 離婚請求について
原判決の認定は、正当であって、控訴人がこれを論難するところは、まったく一方的である。控訴人は、現在、アパートで一人で生活しているが(なお、その賃借に際しては、被控訴人が保証人となったものである。)、老齢年金と被控訴人から支払われる賃料とでもって、十分に生活が可能である。
2 財産分与の申立てについて
原判決の財産分与についての判断も極めて妥当である。控訴人は、これまでの行状を振り返り、自らの権利を主張する前に、自分が父親としての義務をいかに果たしたのか反省すべきである。
第三 証拠関係《略》
理 由
第一 離婚請求について
一 《証拠略》を総合すれば、次の事実を認めることができる。
1 控訴人(大正一三年一〇月七日生)と被控訴人(大正一三年一一月一〇日生)とは、昭和二七年四月一〇日に婚姻の届出をした夫婦であって、両者の間に、長女春子(昭和二八年五月二曰生)、長男一郎(昭和三三年七月一日生)、二女夏子(昭和三五年一〇月二〇日生)、三女冬子(昭和三七年一〇月一八日生)及び二男二郎(昭和四〇年九月一四日生)をもうけた。三女を生後間も無い昭和三八年三月三日に交通事故で亡くしたほか、他の四子は健在で、長女、長男及び二女は、現在、いずれも婚姻している。
控訴人は、戦後、病弱な父松太郎に代わって農業を継ぎ、父所有の自作地、自ら賃借した小作地で陸稲などを栽培し、乳牛を飼うなどして、生計を立てており、被控訴人は、婚姻後、当時の控訴人宅で、控訴人の母タケ、弟松夫、妹竹子及び同梅子と同居し(控訴人の父松太郎は、被控訴人が控訴人と婚姻する前の昭和二三年四月一二日に死亡した。)、農家の嫁として、農作業を手伝った。
控訴人らの夫婦仲は、どちらかというと内向的で、夫婦間の会話も少ない控訴人に対して、何かにつけて積極的な性分の被控訴人が不満を持つこともあったようであるが、婚姻後しばらくは、さしたる問題もなく推移した。
2 しかし、控訴人は、その後次第にノイローゼ状態に陥っていき、昭和三〇年頃、甲田病院(神経科)で診察を受けるほどになっ力。躁うつ病と診断され、投薬治療で回復すると見込まれたが、その症状は良くなる気配もなく、昭和三三年頃から、被控訴人に乱暴をはたらくようにさえなった。特に、昭和三五、六年頃になって、控訴人は、いわゆる農地解放によって取得した西多摩郡<番地略>及び同所<番地略>の土地を乙田工業株式会社に工業用地として売却し(所有権移転登記は、昭和三六年一○月一四日、同年八月一五日付売買を原因としてなされた。)、その売却代金で、別に土地を購入し、更にこれを売却して、被控訴人の叔父乙山五郎から本件(ハ)及び(ニ)土地(但し、換地処分がなされる前の土地である。)を代替に購入したが、残った土地で農業を営むだけでは生計を立てるのが困難となって、翌昭和三七年一二月頃から、戦前に勤務した丙田工業株式会社に再び工員として勤務するようになったところ、仕事上のストレスなども重なってか、行状が荒み、被控訴人に乱暴をはたらくだけでなく、物を投げたり、壊したりしてやたらと当たり散らすようになった。
右工場用地の売却及び代替土地の購入に関して、控訴人は、町長、農業委員等の有力者宅、叔父宅などに押しかけて不平、不満を訴え、周囲のひんしゅくを買ったりしたが、被控訴人には、それも控訴人の疾患が原因しているように思われ、控訴人の乱暴などが原因して、被控訴人が子供らを連れて実家に戻ったことも一度に限らなかった。
3 しかも、控訴人の行状は、その後も改まる気配がなく、控訴人は、昭和四四年八月頃、甲田病院(神経科)に入院する事態となった。被控訴人が控訴人から乱暴を受けて実家に帰っていた際、控訴人の弟らの配慮で入院させたものであった。
控訴人は、同年一二月に甲田病院を退院したが、翌昭和四五年四月から同年一一月まで、再び同院に入院する状態であって、昭和四八年暮には、長男の高校受験を来春に控え、控訴人の一向に改まらない行状に思い余った被控訴人によって、丁田病院に入院させられた。控訴人は、翌昭和四九年五月頃に丁田病院を退院後、同年一〇月頃、戊田病院に入院し、翌昭和五〇年五月頃、同院を退院したが、以上のとおりに入、退院を繰り返したため、同年六月三〇日、丙田工業株式会社を退職するに至った。
4 控訴人らの夫婦仲は、以上のような控訴人の度重なる入、退院、その間の控訴人の行状などが原因して、次第に円満さを欠くようになっていった。控訴人ら夫婦と同居していた母タケは、昭和四五年頃から、控訴人方を出て、控訴人の弟松夫方に身を寄せるようになったが、それも、控訴人らの夫婦不和が一因であった。
また、タケと松夫とは、右に前後して、控訴人が農地解放によって取得した西多摩郡《中略》(現・同町甲原四丁目)二六二二番二の土地(同土地は、同番三の土地と併せて、その後に換地処分を受け、同所九番一八号の土地となった。分筆前の本件(支)土地であるが、以下、これを「甲原の土地」という。)、控訴人自ら売買によって取得した同町<中略>(現・同町乙原二丁目)二六九七番六の土地(以下「二丁目の土地」という。)、本件(ハ)土地(但し、本件(5)土地が分筆される前の土地である。)につき、タケと松夫とに共有持分があると主張して、東京地方裁判所八王子支部に持分確認等請求事件を提起したが(同庁昭和四五年(ワ)第三〇五号事件)、これも、控訴人らの夫婦不和が遠因となったようである(二丁目の土地は、当吠控訴杁ら夫婦の生計のために、丙川ウメに売却され、仮登記がなされていたが、タケらの仮処分によって、控訴人から丙川ウメに所有権移転の本登記がなされたのは、昭和五一年九月二二日になってのことである。
右訴訟は、昭和五一年六月頃、控訴人の勝訴で終わったが、その間にあって、これに腹を立てた控訴人は、弟の松夫、姉の菊子に文句をつけ、昭和四七年七月頃、右訴訟を取り下げさせようとして、弟松夫方に押しかけ、警察沙汰となったほか、同年一二月頃、姉菊子が嫁いだ丁原一夫方に押しかけた際には、心配して駆け付けた被控訴人が丁原から何度も殴打されるということがあった。控訴人と親族との間も険悪な状態となっていき、控訴人が自殺を図ることもあった。
5 そうこうするうち、被控訴人は、昭和四九年七月頃から昭和五〇年四月頃まで都立府中病院に入院し、胸椎椎間板ヘルニアの手術を受けることになったが(被控訴人の疾患は、外部から受けた衝撃によるものであって、特に丁凰一夫から殴られたことが原因したよ γである。しかし、控訴人の乱暴がまったく関係していないとはいえない。被控訴人は、これによって、身体障害者二級の認定を受けている。)、その入院中に、自宅で被控訴人が書きかけた手紙の下書きを見つけ、被控訴人の異性関係を邪推した控訴人から病床で殴る、蹴るの乱暴を加えられ(控訴人は、原審において、病床にいた被控訴人の左腿を靴で二回ほど軽く叩いただけである、と供述するが、病床での乱暴を軽視するような控訴人の供述をそのまま措信することはできない。)、これまでの行状なども重なって、控訴人に対する我慢も限界と感じられた。子供らに聞いても、控訴人に対し、父親としてのイメージを持っていない様子であって、このままでは、子供の就職、結婚に却って支障となるだけと考えた被控訴人は、以来、控訴人との離婚意思を強めていった。
控訴人は、昭和五二年一月頃、家族から縄で縛られることがあったところ、自らその縄を解き、鎌などを手にして長男を脅すなどしたため、再び戊田病院に入院する事態になったが、被控訴人は、その約半年前頃から、控訴人との離婚を決意していて、昭和五五年四月頃、東京家庭裁判所八王子支部に夫婦関係調整の調停を申立てた。以後、被控訴人が控訴人を見舞ったり、その療養看護に当たったということはない。控訴人は、戊田病院での約一〇年間に及ぶ入院を経て、昭和六一年五月二七曰、同院を退院したが、控訴人との離婚意思を固めた被控訴人が自宅に迎え入れようとしないため、現在、アパートを借り、単身生活を余儀なくされている。
6 因みに、控訴人ら夫婦の家計は、昭和四四年頃まで、同居の母タケがやりくりしていたが、その後は、被控訴人が切り盛りするようになっていたところ、控訴人の数次の入院、退職、被控訴人自らの身体障害などによって、被控訴人は、控訴人が父松太郎から相続した西多摩郡<中略>(現・同町乙原三丁目)二七六九番一の土地(後記の売却に伴う分筆前の土地である。以下「相続土地」という。)をいわば切り売りして、その売却代金で専ら生計を賄った(被控訴人が働きに出たこともあったが、期間はごく僅かであるし、また、昭和五二年頃から、甲川八郎に委託し、本件(五)建物で営業をして収入を得ているが、月額約八万円程度にすぎない。)。二丁目の土地を丙川ウメに売却したのも生計のためであった。
控訴人所有の土地を売却するにつき、控訴人が予め承諾した場合もあったが、被控訴人が自らの判断でした場合が大半であって、控訴人らの長男、二男の大学進学及び二女の専門学校進学に伴う学資、長女、長男及び二女の結婚費用も、右売却代金で賄われた。控訴人ら夫婦は、昭和五二年に本件(一)土地上に自宅(本件(四)建物)を新築したが(但し、付属建物の倉庫居宅は、本件(二)土地上にある。)、その建築資金(約一七○○万円)も、右売却代金で工面された(保存登記は、被控訴人の名義でなされているところ、被控訴人は、原審において、建築資金を控訴人から贈与されたものと考えている、と供述するが、右供述は措信し得ない。)。また、被控訴人は、自宅の新築と前後して、本件(三)土地上に店舗(本件(五)建物)を構え、その営業を甲州八郎に委託して、生計の一助としているが、その建築資金(約四〇〇万円)も、右売却代金で捻出された(被控訴人は、その建築資金を実家から担保提供を受け、自ら工面したとか、実家から一部借用したなどと供述するが、不確かで、措信し得ない。)。
控訴人の治療費(自己負担分)も、被控訴人が右売却代金から支出していたが、前記調停を申し立ててからは、その支出に応じないため、生活保護によって支出された(現在、控訴人に対して返還が求められている。)。
二 以上の認定事実に鑑みれば、控訴人は、躁うつ病のために再三にわたって入、退院を繰り返したものではあるが、既に退院している現在では、その病状もかなり回復していると窺われるので、被控訴人が民法七七〇条一項四号を理由として控訴人との婚姻の解消を求める請求は理由がないといわなければならない。
しかしながら、控訴人の前認定のとおりの精神的な疾患に起因した荒んだ行状などが原因して、幾度となく吸暴を受けた被控訴人が控訴人と離婚する意思を固めたこと自体、無理からぬところであると認められるうえ、控訴人の最終的な入院は、昭和五二年一月以来約一〇年間の長期に及び、その間にあって、控訴人が相続土地などを所有していたため、これを売却して、殊更に経済的に逼迫した生活を強いられたわけでもないのに、被控訴人は、控訴人を見舞ったり、療養看護に当たるという気遣いも見せず、治療費さえ途中から支出を拒むほど、控訴人に対して打算的で冷淡な態度に終始しているほか、その子供らにおいても、躁うつ病で入、退院を繰り返す父親と身体障害の母親という家庭環境のもとで、辛酸をなめずに済んだのも、控訴人に資産があったればこそといえるのに、控訴人を父親として慮る気持ちも乏しいことなどを併せ考えると、控訴人らの夫婦関係は既に破綻しており、控訴人らがこれを修復して、円満な夫婦関係を形成し、継続していくのは極めて困難であると解される。控訴人自身も、原審において、被控訴人との離婚も仕方ない、と述懐していることを考慮すれば、被控訴人が民法七七〇条一項五号を理由として控訴人との婚姻の解消を求める請求は理由があるというべきである。
控訴人は、当審において、被控訴人が控訴人との離婚を求める意図などを問題にするが、控訴人の主張を肯認するに足りる証拠はない。また、控訴人の今後の療養・生活等の具体的な方途などを問題にするが、控訴人ら夫婦の財産関係は、後記のとおりに清算されるべきものであって、控訴人は、その残された資産を利用又は処分するなどして今後の生計を立て得るものと解されるから、控訴人の主張は採用し得ない。他に、控訴人ら夫婦の婚姻が解消されるべきものであるとの判断を妨げる証拠はない。
三 従って、控訴人の離惇団求を認容した原判決は相当である。
第二 財産分与の申立てについて
一 前認定の事実に、《証拠略》を加えれば、控訴人ら夫婦の資産関係は、次のとおりであると認めることができる。
1 本件(一)及び(二)土地は、控訴人が農地解放によって取得した土地を工場用地として売却した代金によって購入されたものであって、控訴人固有の資産である。この点につき、被控訴人は、同土地の前主が被控訴人の叔父であったので、安く購入することができた、と主張するが、被控訴人に持分を認めるほどの事情ではない。
なお、右土地は、控訴人ら夫婦の自宅(本件(四)建物)の敷地となっているが、その母屋(本件(四)建物のうち主たる建物)は、本件(一)土地上に、付属建物(倉庫居宅)は、本件(二)土地上にある。
2 本件(三)土地も、控訴人が売買によって取得した土地がその後に換地されたものであって、控訴人固有の資産である。
なお、右土地は、被控訴人名義の店舗(本件(五)建物)の敷地となっている。
3 本件(四)建物は、控訴人ら夫婦の自宅で、被控訴人名義で保存登記がなされているが、その建築資金が控訴人所有の相続土地を処分した売却代金で工面されたものであることは前認定のとおりであって、本来控訴人固有の資産である。建築工事を差配したのが被控訴人であったにしても、とりわけて被控訴人の持分を観念し得るものではない。
4 本件(五)建物は、被控訴人名義で保存登記された店舗ではあるが、前示のとおり、相続土地の売却代金で建築資金が捻出されたものと認められるのであって、自宅と同じく、控訴人固有の資産というべきである。
右店舗では、現在被控訴人が甲川八郎に委託して、商売をしているが、その収入は、月額約八万円前後である。
5 相続土地は、その殆どが既に売却されているが、なお一部(二筆)が残っている。しかし、残存する土地は、道路として使用されるなどして、価額的には無いに等しいものである。
なお、相続土地の売却代金は、数千万円に達するものであって、自宅及び店舗の建築資金(合計で約二○○○万円強)、子供らの学資、結婚費用を賄ったほか、生活費に充てられた。被控訴人は、すべて費消したように供述するが、措信し得るものではない。控訴人が取得した五○○万円(乙川に対する売却代金の最終入金分)譲渡所得税などを差し引いても、被控訴人には、それまでに取得した売却代金のかなりのものが残っているはずである。
6 甲原の土地は、現在、一部が分筆され、残りが本件(三)土地となっているが、その分筆した土地を甲川八郎に売却し、代わりに取得したのが北佐久郡《番地略》、同所《番地略》及び同《番地略》の土地(以下「丙原町土地」という。)であるから、同土地も、控訴人固有の資産というべきである。被控訴人に対して贈与を原因とする所有権移転登記がなされているが、控訴人から被控訴人に対する贈与の事実を認めるに足りる証拠はない。
二 以上の事実に基づき、被控訴人の財産分与の申立てについて検討すると、本件(一)ないし(三)土地、本件(四)及び(五)建物は、いずれも控訴人固有の資産であって、その取得及び保持につき、被控訴人が格別の努力を払ったといえるものではない。却って、控訴人ら夫婦の生活費などは、専ら相続土地を売却して検出されていたのである。丙原町土地も、控訴人固有の資産によって取得したものであるから、同様である。控訴人所有の不動産につき、被控訴人の寄与をとりわけて認め得るものではなく、清算的な趣旨で分与を考える余地は少ない。
更に、被控訴人は、本件において、慰藉料を加味して、財産分与を申し立てるが、控訴人の被控訴人に対する行状に問題がないわけではないとはいえ、相続土地の売却代金で相応の生活が可能であったのに、控訴人が最終的な入院をしてから現在まで約一○年間にわたって、打算的で冷淡な態度に終始してきた被控訴人であってみれば、控訴人に請求し得る慰藉料自体、そう多額なものではないというべきであるから、財産分与に際して、これを重視することもできない。
以上説示したところに、被控訴人の離婚後の扶養的な趣旨をも考慮に入れると、控訴人が被控訴人に対して分与すべき財産としては、被控訴人が相続土地の売却により取得した代金の残りのほか、被控訴人名義で保存登記がなされているが、実質的には控訴人の所有である自宅の母屋(本件(四)建物のうち主たる建物)及び店舗(本件(五)建物)を被控訴人に分与し、かつ、各建物の敷地に対する利用権を設定すれば十分というべきであって、右母屋の敷地(本件(一)土地)については、被控訴人が居住することを考慮して、被控訴人が生存中これを無償で利用し得る使用借権を、また、店舗の敷地(本件(三)土地)については、右店舗の営業利益等を考慮して、被控訴人から控訴人に対して対価を支払わしむべく、別紙物件目録(六)記載の賃借権を、それぞれ設定するのが相当というべきである。
三 控訴人から被控訴人に対する財産分与は、以上説示した限度で認め得るに止まるから、これと異なる原判決は変更を免れない。
第三 結論
以上の次第で、控訴人の本件控訴は、財産分与に関する不服を申し立てる点で理由があるから、原判決の主文第二ないし第四項を主文第一項の1及び2のとおりに変更し、離婚に関して不服を申し立てる点は理由がないのでこれを棄却することとし、訴訟費用の負担につき、民事訴訟法九六条、八九条、九三条を適用して、これを三分し、その二を控訴人の負担とし、その余を被控訴人の各負担として、主文のとおり判決する。(裁判長裁判官 村岡二郎 裁判官 安達敬 滝澤孝臣)
別紙 物件目録
(一) 西多摩郡《番地略》畑六二五平方メートル
(二) 西多摩郡《番地略》畑五二二平方メートル
(三) 西多摩郡《中略》町甲原四丁目九番一八宅地二三八・〇三平方メートル
(四) 西多摩郡《中略》一〇番地五、同番地四〇所在家屋番号一〇番五木造瓦亜鉛メ
ッキ鋼板葺二階建居宅床面積 一階 一〇九・二二平方メートル二階 三九・七四平方メートル(付属建物)木造亜鉛メッキ鋼板葺二階建倉庫居宅床面積 一階 四三・二五平方メートル二階 四三・二五平方メートル
(五) 西多摩郡《中略》甲原四丁目九番地一八所在家屋番号九番一八の一鉄骨造亜鉛メッキ鋼板葺平家建店舗床面積一五二・四〇平方メートル内 賃借権の内容
1 目的 普通建物所有
2 期間 本裁判確定の曰から二〇年
3 賃料 月額三万円(毎月末日限り当月分を持参又は送金して支払う。)